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岡山地方裁判所 昭和58年(わ)114号 判決

本店の所在地

岡山県倉敷市児島味野二丁目二番三九号

山縣化学株式会社

右代表者代表取締役

山縣章宏

本店の所在地

岡山県倉敷市下の町三丁目八番四八号

株式会社瀬戸商会

右代表者代表取締役

山縣章宏

本籍

神戸市長田区北町二丁目八番地の一

住居

岡山県倉敷市児島田の口七丁目六番一号

会社役員

山縣章宏

大正一三年七月二二日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官山本弘出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人山縣化学株式会社を罰金一六〇〇万円に、被告人株式会社瀬戸商会を罰金六〇〇万円に、被告人山縣章宏を懲役一年二月に処する。

被告人山縣章宏に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人三輪洋二、同山崎今朝喜に支給した分は被告人山縣化学株式会社と被告人山縣章宏の連帯負担、証人林典彦、同平田晃雄に支給した分は被告人三名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人山縣化学株式会社(以下「山縣化学」という)は、岡山県倉敷市児島味野二丁目二番三九号に本店を置き、プラスチック製品の製造および販売を目的とする株式会社、被告人株式会社瀬戸商会(以下「瀬戸商会」という)は、岡山県倉敷市下の町三丁目八番四八号に現在の本店を置き(起訴当時の本店所在地・岡山県倉敷市児島田の口七丁目六番九号)、プラスチックを素材とする各種製品の製造および販売を目的とする株式会社、被告人山縣章宏(以下「山縣章宏」という)は、右両会社の代表取締役としてその業務全般を統括していたものであるが、山縣章宏は、

第一  山縣化学の業務に関し、法人税を免れようと企て、プラスチック製まな板の売上の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一  昭和五四年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における山縣化学の実際の所得金額が七、二三七万二、〇三七円で、これに対する法人税額が二、八〇一万五、一〇〇円であつたにもかかわらず、昭和五五年二月二九日、倉敷市児島小川五丁目一番六六号の児島税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額は七八六万八、三六二円で、これに対する法人税額は二二一万三、五〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて、不正の行為により山縣化学の右事業年度の正規の法人税額との差額二、五八〇万一、六〇〇円の法人税を免れ、

二  昭和五五年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における山縣化学の実際の所得金額が五、九五九万〇、六二七円で、これに対する法人税額が二、二七九万六、九〇〇円であつたにもかかわらず、昭和五六年二月二八日、児島税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額は七九二万八、四五〇円で、これに対する法人税額は二一三万二、一〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて、不正の行為により山縣化学の右事業年度の正規の法人税額との差額二、〇六六万四、八〇〇円の法人税を免れ、

三  昭和五六年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における山縣化学の実際の所得金額が六、七八五万六、三三三円で、これに対する法人税額が二、七一九万七、四〇〇円であつたにもかかわらず、昭和五七年三月一日、児島税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額は八九〇万六、三三五円で、これに対する法人税額は二四三万八、四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて、不正の行為により山縣化学の右事業年度の正規の法人税額との差額二、四七五万九、〇〇〇円の法人税を免れ、

第二  瀬戸商会の業務に関し、法人税を免れようと企て、プラスチック製まな板の売上の一部を除外するなどの方法により所得を隠匿したうえ、

一  昭和五四年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における瀬戸商会の実際の所得金額が一、〇五六万一、一九四円で、これに対する法人税額が三三八万四、四〇〇円であつたにもかかわらず、昭和五五年二月二九日、児島税務署において、同税務署長に対し、右事業年度は、二、三六四万七、八七三円の欠損で、これに対する法人税額が〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて、不正の行為により瀬戸商会の右事業年度の正規の法人税額との差額三三八万四、四〇〇円の法人税を免れ、

二  昭和五五年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における瀬戸商会の実際の所得金額が三、六七四万〇、八六一円で、これに対する法人税額が一、三八五万六、〇〇〇円であつたにもかかわらず、昭和五六年二月二八日、児島税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額ば〇円で、これに対する法人税額は〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて、不正の行為により瀬戸商会の右事業年度の正規の法人税額との差額一、三八五万六、〇〇〇円の法人税を免れ、

三  昭和五六年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における瀬戸商会の実際の所得金額が二、一七六万〇、六二六円で、これに対する法人税額が八一七万九、二〇〇円であつたにもかかわらず、昭和五七年三月一日、児島税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額は〇円で、これに対する法人税額は〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もつて、不正の行為により瀬戸商会の右事業年度の正規の法人税額との差額八一七万九、二〇〇円の法人税を免れ

たものである。

(証拠の標目)

書証の( )内の番号は、検察官請求の証拠等関係カード記載の証拠番号を、証拠物の( )内の番号は、押収してある昭和五八年押第七五号の証拠物の符号番号を示す。

判示全事実について

一、山縣章宏の当公判廷における供述

一、山縣章宏の検察官に対する各供述調書(76~79)

一、山縣章宏の大蔵事務官に対する各質問てん末書(124~137)

一、第七、八回公判調書中の証人林典彦の供述部分

一、第九回公判調書中の証人平田晃雄の供述部分

一、第一三回公判調書中の証人原和子の供述部分

一、第一四、一五回公判調書中の証人森弘子の供述部分

一、証人山縣静子の当公判廷における供述(二回)

一、森弘子、山縣静子の検察官に対する各供述調書(72、74、75)

一、森弘子作成の答申書(28、59)

一、原和子作成の証明書(29、60)

一、大角博正作成の答申書(30、61)

判示冒頭および第一の各事実(山縣化学関係)について

一、山崎今朝喜、福島冨佐子、原和子、山縣哲夫の検察官に対する各供述調書(68~71)

一、第一一、一二回公判調書中の証人福島冨佐子の供述部分

一、第一六回公判調書中の証人山縣哲夫の供述部分

一、証人山崎哲夫の当公判廷における供述

一、証人山崎今朝喜の当公判廷における供述

一、広島国税局収税官吏三輪洋二作成の

調査書(カゴ平商店分売上 138)一部の写

調査書(前金売上 139)一部の写

調査書(現金個人売上 140)一部の写

調査書(朝市関係 141)一部の写

調査書(信越・上田産業売上 142)一部の写

調査書(架空売上 143)一部の写

調査書(生駒商店分簿外仕入 144)一部の写

調査書(架空仕入 145)一部の写

調査書(カゴ平商店簿外仕入 146)一部の写

調査書(雑収入 153)一部の写

調査書(事業税 155)一部の写

広島国税局収税官吏林典彦作成の

調査書(前金売上等関係簿外仕入 147)一部の写

調査書(製品棚卸高 149)一部の写

調査書(原材料棚卸高 150)一部の写

調査書(簿外経費 151)一部の写

広島国税局収税官吏吉岡克一作成の

調査事績報告書(K型まな板工法別製造状況 148)一部の写

広島国税局収税官吏小田実作成の

調査書(受取利息 152)一部の写

広島国税局収税官吏竹中衛作成の

調査書(支払利息 154)一部の写

一、第四ないし六回公判調書中の証人三輪洋二の供述部分

一、特許権の通常実施に関する契約書写(199)

一、山縣化学の商業登記簿謄本(2)

一、押収してある

法人税決議書一綴(一)

店別売上表(東京営業所)一綴(二)

店別売上表(カゴ平商店)一綴(三)

種類別売上表一綴(四)

入金メモ帳一冊(五)

前金売上帳(昭和五六年度)一綴(六)

『前金五五年度』一綴(七)

『前金昭和五二~五四年度分』一綴(八)

『個人昭和五二年~五四年度分』売掛帳一綴(九)

『個人売五五年度』一綴(一〇)

『セト商会売上帳』一綴(一一)

『カゴ平仕入集計表』一綴(一二)

在庫集計表三綴(一三~一五)

封筒および在中のメモ書等(一六の一~三二)

在庫集計表一綴(一七)

在庫表一綴(一八)

金銭出納帳五冊(一九~二一)

経費集計表一綴(二二)

金銭出納帳二冊(二三、二四)

借入金台帳一綴(二五)

納品書控一三冊(二六の一~一三)

納品書控二綴(二八の一、二)

領収書控五冊(二九の一~三〇の二)

納品書控四綴(三一、三二の各一、二)

原板請求書領収書三綴(三三~三五)

原板納品書請求書領収書一綴(三六)

仕切書控六綴(三七~四一の二)

領収書控八冊(四二の一~四四の三)

納品書控三綴(四五~四七)

封筒入り請求書領収書綴二三綴(四八の一~三)

封筒入り請求書領収書二五綴(四九の一~三)

封筒入り請求書領収書二五綴(五〇の一~三)

仕切書控一四六綴(五一~五三)

領収書綴三綴り(五四~五六)

借用証四枚(五七~五八の三)

為替手形の原符一綴(五九)

『仕切書』一綴(六〇)

借用証一枚(六一)

為替手形の原符一枚(六二)

ルーズリーフ帳一冊(六三)

借用金管理ノート一冊(六四)

ルーズリーフ用紙メモ一綴(六五)

借入帳写一綴(六六)

メモ紙一綴(六七)

『山縣静子の借入金支払予定表』一綴(六八)

『借入金・利息返済書写』二冊(六九)

借入帳一冊(七〇)

『岸関係書類』一綴(七一)

『出金伝票』一綴(七二)

払込用紙一綴(七三)

『納品書』一綴(七四)

『納品書』一冊(七五)

借入関係ファイル一冊(七六)

振込明細ファイル一冊(七七)

預金受入通知書一綴(七八)

手形受払帳一冊(七九)

担保定期預金台帳写一綴(八〇)

約束手形一綴(八一)

手形貸付計算書一綴(八二)

為替手形帳一冊(八三)

為替手形原符三冊(八四の一~三)

当座小切手帳一冊(八五)

当座預金入金通帳(八六)

総合口座通帳一冊(八七)

普通預金通帳一冊(八八)

総合口座通帳一冊(八九の一)

普通預金通帳二冊(八九の二~九〇)

当座預金入金通帳一冊(九一)

普通預金通帳一冊(九二)

納品書控一綴(九三)

発送事務控及納品書控一綴(九四)

納品書控一二冊(九五~一〇六)

勘定帳等一綴(一〇七)

買掛帳五綴(一〇八~一一二)

納品書三綴(一一三~一一五)

仕入帳六冊(一一六~一二一)

仕入売上明細表三綴(一二二~一二四)

仕入帳三綴(一二五~一二七)

納品書二綴(一二八~一二九)

新神戸モールド(株)関係綴(一三〇)

挨拶状四通(一三一)

種類別売上表一綴(一三二)

送り状綴一冊(一三三)

判示冒頭および第二の各事実(瀬戸商会関係)について

一、広島国税局収税官吏吉岡克一作成の

調査事績報告書(K型まな板工法別製造状況 148)一部の写

広島国税局収税官吏松田憲麿作成の

調査書(生駒商店関係売上 156)一部の写

調査書(架空仕入 158)一部の写

調査書(架空給料、手当 159)一部の写

広島国税局収税官吏林典彦作成の

調査書(前金等関係売上 157)一部の写

調査書(雑収入 160)一部の写

調査書(事業税 161)一部の写

調査書(繰越欠損金当期控除否認額 162)一部の写

一、瀬戸商会の商業登記簿謄本(54)

一、押収してある法人税決議書一綴(二七)

(争点に対する判断)

第一争点の要旨判示

本件最大の争点は、『カゴ平商店』の所得の帰属である。

すなわち、東京地区において『カゴ平商店』名義で販売された売上利益が誰に帰属するか、換言すれば、『カゴ平商店』の経営主体は誰かという問題である。

検察官は、『カゴ平商店』は山縣化学が同社東京営業所が扱う東京地区での売上を公表帳簿から除外し、脱税をするための手段として考え出された単なる名称上の存在にすぎず、その経営実体は山縣化学東京営業所時代の取引形態をそのまま引き継いでいるもので、税法上独立の経営主体とは認められないから、『カゴ平商店』の売上所得は山縣化学に帰属するとして、起訴にかかる脱税額を算定した。

一方、山縣章宏および弁護人は、『カゴ平商店』の経営主体は山縣化学ではなく、山縣静子(山縣章宏の妻)であり、『カゴ平商店』の売上所得は山縣静子個人に帰属すると主張する。その理由として、山縣静子はかねて山縣化学の運営資金を同女個人で借金し調達していたが、その借入金の支払いに困る状態になつたので、山縣章宏は、妻静子の窮状を援助するために、山縣化学東京営業所を廃止して、新たに『カゴ平商店』を作り、山縣静子にその経営をさせることにしたものであり、『カゴ平商店』の製品販売は、公表帳簿上も実際上も、山縣化学から瀬戸商会、瀬戸商会から『カゴ平商店』という売渡ルートを経て販売され、かつ、『カゴ平商店』の売上利益は山縣静子が管理処分している事実からしても、『カゴ平商店』は山縣化学とは別個の独立した経営主体であり、同店は山縣静子の経営にかかるもので、その売上所得は山縣静子個人に帰属するというのである。

第二『カゴ平商店』の所得の帰属について

一  関係証拠上認められる事実

以下の経過および事実は、関係証拠により間違いないと認められ、当事者間にもほぼ争いがない。

1 山縣章宏は、山縣化学研究所の名称でプラスチック製品の研究開発をおこなつていた当時から、それに必要な資金を妻山縣静子を通じて同女の知人、金融業者から借り入れた。昭和四四年積層まな板を開発して、山縣静子名義で特許を申請し、同製品を製造販売して、東京地区でも業績を延ばした。そして昭和四七年、当時東京都中央区築地の市場を中心に『籠平』の名称で籠製品の販売をしていた山崎今朝喜と知り合つたのを契機に、山縣化学研究所の製品について、東京地区におけるその受注、配達、集金等販売の代行をしてもらうようになつた。

2 山縣章宏は、昭和四七年六月、山縣化学株式会社を設立して、個人事業であつた山縣化学研究所を引き継ぎ、山縣静子は取締役として同社の資金繰りを担当し、同社設立後山崎今朝喜は山縣化学株式会社東京営業所の名称で引き続き東京地区の販売を代行した。

山縣化学を設立した際、山縣化学研究所時代の借入金が約八、〇〇〇万円に達していたが、金融機関、取引先等に対する信用を考えて、右借入金を山縣化学の公表帳簿には計上しなかつた。

山縣章宏は、昭和五一年、一枚もののまな板(K型まな板)を開発し、瀬戸商会の名称で製造販売を始めたが、それらの資金繰りも山縣静子が個人や高利の金融業者からの借入で準備した。

ところが、このようないわば裏の借入金が累積して、その利息の支払いのために更に借入をせねばならぬような状態になり、山縣静子は、昭和五一年に至り、山縣章宏に対し、借入金の元利の支払いに追われて、もはや簿外での新たな借入が困難であると逼迫を訴え、山縣章宏は、思案の結果、山縣化学の東京地区における売上利益を山縣静子の借入金の返済に回すことにした。

そこで翌五二年ころから、山縣章宏は、従前山縣化学の公表帳簿に計上していた東京営業所の売上を公表帳簿から除外するようになつた。

そして更に、昭和五二年六月には、従来山崎今朝喜に販売の代行をさせていた山縣化学東京営業所の名称を廃して、新たに『カゴ平商店』名義で販売することにし、東京地区の得意先宛に挨拶状を出した。そのうえで、従前山縣化学から直接東京地区の問屋に卸売していたのを、山縣化学から一旦『カゴ平商店』に製品を小売値の二五~三〇%の値段で売り、『カゴ平商店』から東京地区の問屋に小売値の一五~二〇%の利益を見込んで販売するという取引形態を作り、この一五~二〇%の利益は山縣化学の公表帳簿に計上しないようにした。

『カゴ平商店』名義による取引については、『籠平』の山崎今朝喜が山縣化学東京営業所時代と同様にその販売を代行し、山縣化学の従業員福島冨佐子が取引関係帳簿を記載し、山縣化学の公表帳簿に計上されなかつた『カゴ平商店』の売上利益金は山縣静子が管理していた。

その後昭和五二年九月に至り、山縣章宏の方針で、山縣化学と『カゴ平商店』の取引の間に、当時まだ個人事業であつた瀬戸商会を入れることにし、山縣化学の製造する積層まな板や料理用道具について、瀬戸商会が五%の利益を取得するようになり、この取引形態は昭和五三年四月株式会社瀬戸商会に組織変更されて以後も継続され、こうして、外形的には、山縣化学―瀬戸商会―『カゴ平商店』―東京地区問屋という取引ルートが設定された。

カゴ平商店の売上利益を管理していた山縣静子は、当初前記借入金の支払にこれを充てていたが、昭和五四年頃には借入金の返済が進み、利益の一部は山縣章宏の個人的事業であつたスナックの開業資金や山縣静子らの個人的消費にも充てられ、昭和五七年頃には借入金の返済が完了し、本件査察着手後の同年七月、『カゴ平商店』名義の取引を受け継いで株式会社山縣商事が設立され、山縣静子がその代表取締役に就いた。

以上のとおりである。

二  『カゴ平商店』の売上利益の帰属

(一) 客観的証拠について

1 『カゴ平商店』の設立に際し山縣静子が経営主体として出資をしたことはなく、『カゴ平商店』の性格については、弁護人が「個人として借入金の支払に困つた山縣静子がその支払資金を捻出するために、山縣化学東京営業所を廃して、山縣静子が『カゴ平商店』名義でその営業を引き継いだもので、したがつて、『カゴ平商店』は独立の経営主体である。」と主張しているとおり、『カゴ平商店』名義による取引は、実質的にはそれ以前の山崎今朝喜を販売代行者とする山縣化学東京営業所の営業形態をほとんどそのまま引き継いだものであることは紛れもない事実である。

このような『カゴ平商店』の発足経過につき、山縣章宏は、その被告人質問において、「山縣静子が山縣化学東京営業所の営業権を譲り受けた」と説明している。

関係証拠上明らかなとおり、昭和五四~昭和五六事業年度、山縣化学において、『カゴ平商店』名義による売上は全体の二〇%近くを占めていて、その差引事業所得は毎年四〇〇〇万円前後に達している。この東京営業所の営業譲渡がなされるとすれば、その収益性からみて、本来対価は巨額なものとなり、山縣化学の重要なる一部の譲渡として株主総会の特別決議を必要とするし、営業譲渡に対する対価が授受されるべきものであるが、本件ではそのような事実は存しない。

この点について、山縣章宏は、山縣化学株式会社といつても同族会社であるから、そのような特別決議を正規にしていないだけのことであり、また、山縣静子は本来山縣化学設立の際に同社が引き継ぐべきであつた山縣静子の借入金を公表帳簿に計上せず、そのまま山縣静子個人の借金として残した代償に山縣化学が得た利益がいわば右営業譲渡の対価に当たると評価でき、このように営業譲渡に必要な特別な決議手続きは取つていないが、その代わりに得意先にはそれを通知する挨拶状を発送したとしている。

しかるに、押収にかかる右各挨拶状(符号一三一)によると、「山縣化学東京営業所の名称を『カゴ平商店』に変更する」旨の開業挨拶状、「代金の送金先を山縣化学東京営業所の口座から『カゴ平商店』の口座に変更する」旨の口座番号等通知の挨拶状のいずれにも山縣静子の名前が一切表示されておらず、『カゴ平商店』責任者山崎今朝喜と山縣化学株式会社山縣章宏の名前のみが記載され、挨拶状の文言には、山縣化学東京営業所を閉鎖し、新しく『カゴ平商店』を発足するという表現の一方で、単に山縣化学東京営業所の名称を昭和五二年六月一日から『カゴ平商店』に改めるとのみ記載されている。山縣静子らは公判証言において、右の挨拶状に山縣静子の名前を載せなかつた理由を縷々説明するけれども、山縣静子が前記のような大きな利益を生む営業の譲渡を受けたというのなら、従前に引き続いて取引の相手となる得意先への挨拶状に『カゴ平商店』の経営者であるべき山縣静子の名前が全く表れていないのはどうみても不自然である。

そして山縣静子は、『カゴ平商店』を個人で営業することについて税務署長に開業届けを出していないし、関係証拠により試算すると、本件の昭和五四~五六事業年度において、『カゴ平商店』の差引所得は毎年四〇〇〇万円前後となり、その負担税額は毎年二〇〇〇万円前後になるが、山縣静子はこれら事業所得の申告をしていない。そもそも『カゴ平商店』の売上を山縣静子の個人所得とすると、当時その所得税の方が法人税よりも高く不利になるのであつて、製品の売上除外により借金の支払いをしようというのに、山縣化学東京営業所のままで経営するよりも不利な山縣静子の個人経営に転換したというのは理に合わない。

2 『カゴ平商店』発足の取引形態をみるのに、関係証拠によると、東京地区で販売する商品の注文は、すべて山崎今朝喜または得意先から直接山縣化学の第一工場へなされ、商品の発送は、すべて山縣化学の工場から山縣化学東京営業所名義で借りている倉庫(この場合送り状に荷受人・山縣化学東京倉庫行きと記載)や得意先宛に対してなされ、『カゴ平商店』の販売を代行してきた山崎今朝喜はその取引伝票類や手形を山縣化学の第一工場に送り、集金した販売代金も山縣化学の代表取締役である山縣章宏の個人名義の銀行口座に振込送金しており、このことからも、当該利益を実質的に享受しているのは山縣化学であると言わざるをえないし、他方山縣静子はこれらの過程でなんらの関与をしていないこと、またこの間、『カゴ平商店』名義の販売代行事務を担当していた山崎今朝喜に対する手数料は、『カゴ平商店』名義を使用するようになつてからも約一年間にわたり山縣化学の公表帳簿から支払われていたことが認められる。

右の情況事実は、『カゴ平商店』の名を冠したとはいえ、その実態が、従前の山縣化学東京営業所の時代の取引形態と何ら変わらず、関係者は『カゴ平商店』名義の取引を山縣化学の取引と認識して行動していたことを明白に示しているといわねばならない。

3 『カゴ平商店』の帳簿類の作成状況についてみるのに、『カゴ平商店』名義の取引の伝票整理、帳簿記載や請求事務は、従前山縣化学東京営業所の帳簿事務を担当していた山縣化学従業員の福島冨佐子が山縣章宏の命により担当し、福島が山縣章宏の求めに応じてその内容を報告していたことは、山縣章宏も認め、関係証拠上も認められる。

弁護人は、この『カゴ平商店』の帳簿事務の取扱を、『カゴ平商店』の経営者となつた山縣静子のために、山縣章宏が人手を貸してやることにして福島に協力させただけのことで、個人企業の人情の範囲内のことであり、『カゴ平商店』を山縣化学の一部としての帳簿事務ではないと強調する。

しかし、関係物証と対比してみると、福島の作成した帳簿類のうち、『カゴ平商店』名義の納品書、請求書はともかくとして、それらの伝票類に基づいて同女が作成した「種類別売上表」(符号四、一三二)には、『カゴ平商店』名義での製品種類別売上表の上下欄に、山縣化学本社工場分の売上額、東京地区での『カゴ平商店』名義による売上額、ならびに右両方の売上額を合算した金額の小計累計が毎月一覧表に記帳されており、右「種類別売上表」の昭和五二年七月までは最下段の小計累計欄に「本社・東京小計全累計」との記載があり、昭和五二年八月分よりは「本社・カゴ平小計全累計」と記載されていることが認められる。更に、証人三輪洋二の供述部分によると、山縣化学本社で押収された積層グラフ(検察庁で領置中)には、山縣化学の特許製品である積層まな板について、山縣化学本社の売上利益と『カゴ平商店』名義の売上利益を分け、それを棒グラフにして記載し、『カゴ平商店』発足以後も山縣化学東京営業所時代と同様にその東京地区での販売利益を山縣化学の売上全体の中で把握していたことが窺われる。これらの物証、供述からすると、『カゴ平商店』は山縣化学の中の特別の意味を持つ一営業所としてとらえられ、その売上状況が本社の売上と一緒になつて帳簿に記帳されていたと見るべきである。

4 以上の客観的諸事実を総合すると、『カゴ平商店』は山縣化学東京営業所としての取引の当時から東京地区での売上を公表帳簿から除外していたと同様に単に名称を山縣化学東京営業所から『カゴ平商店』に変更して、外見的には山縣化学から独立した商店に見せかけただけであつて、その内実は山縣化学東京営業所と同一の取引主体であり、東京営業所に引き続いて売上除外を継続したにすぎないもので、その営業活動の主体は山縣化学であり、従つて、『カゴ平商店』の売上所得は山縣化学に帰属するものと認められる。

5 『カゴ平商店』を山縣化学から独立した営業主体として捉え、その売上利益が山縣静子個人に帰属するという弁護人の主張の論拠は、要するに、『カゴ平商店』名義の取引において、公表帳簿上その商品が山縣化学から瀬戸商会へ、瀬戸商会から『カゴ平商店』へ販売され、瀬戸商会がその販売ルートの中で五%の利益を取得しているのであるから、『カゴ平商店』の売上利益をそのまま山縣化学の利益に計上するのはおかしいということと、『カゴ平商店』名義の売上利益を管理処分したのが山縣静子である以上、『カゴ平商店』の売上利益は山縣静子に帰属すると見るのが当然というに帰する。

しかし、税法上所得の帰属は形式的な取引名義によつてではなく、その営業活動により生ずる利益が実質的に誰に帰属すると見るべきかにより決まる。従つて、形式的な販売ルート上、山縣化学と『カゴ平商店』との間に瀬戸商会がいて、瀬戸商会から『カゴ平商店』に五%の利益を取つて売上がなされているからといつて、『カゴ平商店』が山縣化学とは別個独立の営業主体ということにはならない。山縣化学から瀬戸商会を通すことで、瀬戸商会が五%の利益を得たあと、更に山縣化学が『カゴ平商店』という名称を使つて得意先に売り、その取引益を売上除外するという方法を取つたとすれば、たとえその間に瀬戸商会が入つていても、山縣化学と『カゴ平商店』は直結しており、瀬戸商会が『カゴ平商店』に売上を計上しているという販売ルートの形にかかわらず、『カゴ平商店』の売上利益はそのまま山縣化学に帰属することになる。『カゴ平商店』名義による取引形態は、前記のように、山縣章宏が東京地区での売上を山縣化学の公表帳簿から除外するために考え出した特殊な形態のものと認められ、その営業活動が実質的に山縣化学によつて差配されていたと見られる以上、その売上利益が山縣化学に帰属するという評価が左右されるものではない。同様の意味において、売上利益の享受者と経営主体とは当然に一致するものではなく、あくまで営業活動の主体がその営業による収益の帰属者であり、それはその営業が何人の収支計算によつて得られた所得かという問題に帰する。山縣静子には、まさに同人がその証言で認めるように、山縣化学にすつかりおんぶして『カゴ平商店』は寝ているだけで多額の売上利益が入つたと言う如くに、『カゴ平商店』の営業活動は、実質的には山縣化学東京営業所の時代と同様、山縣化学によつて行われたと認められることは先に見たとおりである。本件全証拠によるも、山縣静子には、『カゴ平商店』の経営者として評価すべきほどの行動は認められない。『カゴ平商店』の取引利益の管理を山縣静子に任せたということはともかく、それ以上に『カゴ平商店』が山縣静子の個人商店として独立したというようなことは、前記の客観的情況事実に反し、ただ、『カゴ平商店』名義の売上を除外する当初よりの目的が、山縣静子の個人名義の借入金を返済するということにあつたことから、売上除外金の多くがその支払いに充てられただけの事であると認められる。

(二) 供述の信用性について

1 山縣章宏は、大蔵事務官に対する質問てん末書(検126~128、131、136)において、「昭和五二年当初から、山縣化学東京営業所の売上を山縣化学の帳簿に計上せず、東京営業所へ製品を卸売したように伝票を作り、その差益を除外していた。しかし、山縣化学東京営業所の名称にしておくと、山縣化学の売上であることがわかるので、『カゴ平商店』の名前を考え、同年六月から使用することにして、山縣化学東京営業所の得意先に案内書(挨拶状)を出した。『カゴ平商店』の納品書、領収書およびゴム印は、私が作つて山崎今朝喜に渡した。山崎今朝喜に対する手数料は昭和五二年一月から五三年六月まで山縣化学の公表帳簿から払い、以後は公表から出すとおかしいので、『カゴ平商店』の裏の経費から出した。『カゴ平商店』の事務は、山縣化学の福島冨佐子が担当し、同人の作成した種類別売上表の金額から仕入れ集計表の金額と経費集計表の金額を差し引けば、大方の利益が分かるようになつていた。『カゴ平商店』のマージン部分等を公表せず決算すれば赤字となり、そのまま申告すれば信用に関係するので、決算に際し、資本金程度の利益が出るように、山縣化学本社の担当者が作成した決算資料を見てから、東京在庫の金額を調整して計上していた。『カゴ平商店』は山縣化学の一般販売部門で東京地区を担当したものである。」と差押えされた山縣化学の公表帳簿、『カゴ平商店』関係の帳簿等の裏付け証拠を逐一確認したうえで、かつ山縣章宏から説明を受けなければ、査察官において知りえなかつたと思われる事実説明を含め詳細供述しており、その信用性は高いものと認められる。

他方、山縣章宏ら山縣化学関係者は、いずれも、捜査段階では、東京地区での『カゴ平商店』の売上利益は山縣化学に帰属するものと検察官の主張にそう供述をしていたが、公判供述および証言において、捜査段階の供述を翻し、『カゴ平商店』の経営主体は山縣静子で、『カゴ平商店』の取引利益は同女に帰属すると主張している。

もし、そうであれば、山縣静子の夫である山縣章宏にとつて、それは自明のことであるはずなのに、証人三輪洋二の証言および山縣章宏の大蔵事務官に対する質問てん末書(検131)によると、本件査察の着手当初、山縣章宏は、大蔵事務官の質問に対して、『カゴ平商店』は山縣章宏個人が経営していると供述し、その後『カゴ平商店』は山縣化学の一販売部門であつて、その売上利益は山縣化学に帰属すると供述を変更し、検察官調書においては三転して、売上利益の使途によつて区別すべきであるとし、山縣化学にも瀬戸商会にもその経費に使われた分は帰属し、山縣静子が個人的に使用したものは山縣化学が山縣静子に支払いすべき特許料の一部であるなどと供述している。しかし山縣章宏は検察官調書において、『カゴ平商店』の売上利益の全部が山縣化学に帰属するものではないと否認しながら、『カゴ平商店』が山縣静子の個人経営であり、売上利益はすべて同女に帰属すると一言も弁解していない。このように、『カゴ平商店』の経営主体が誰であるかについて、山縣章宏の供述は幾度も変わつており、山縣静子を『カゴ平商店』の経営主体と認識していたことを前提とする限りは、その供述経過が著しく不自然である。山縣章宏は公判段階では、「山縣静子の借金がかさんできて支払いができなくなり、その借金払いのため山縣静子が自由にできる金を作るために、山縣化学東京営業所をやめ、『カゴ平商店』として山縣静子が引き継いだ。『カゴ平商店』の一切の管理を山縣静子に任せ、山縣静子は月のうち一〇日位は東京へ行き、集金、得意先回りをしていた。『カゴ平商店』名義の挨拶状に山縣静子の名前を記載しなかつたのは、実際に仕事に携わつているのが山崎今朝喜で、同人が納品、集金をすることがあり、内容的に変わらないから、改めて代表者が山縣静子になると得意先に言う必要がないし、山崎今朝喜の顔を立てるためにも山縣静子の名前は書かない方がいいと思つた。山縣化学東京営業所の名称のままでその売上利益を除外していては税務署に脱税がばれるという理由から『カゴ平商店』という名称で東京地区の販売を行うことを思いついたのではない。『カゴ平商店』はもともと山縣静子個人の店として独立して作つたもので、その取引益は山縣静子個人に帰属する。そもそも山縣化学から一旦瀬戸商会へ売つて、瀬戸商会から第三者のカゴ平商店へ売つているのだから、その『カゴ平商店』の計算をそのまま直接山縣化学にもつていくのは根本的に間違いである。」と供述する。カゴ平商店名義での売上を除外する当初よりの目的が、山縣静子の個人名義の借入金を返済するということにあつたことからしても、『カゴ平商店』名義の取引益の管理を山縣静子が任されたというのは理解できるが、しかし、山縣化学製品の東京地区における取引およびその売上利益の除外の内容実態が、昭和五二年当初頃から山縣化学東京営業所名義で行つていたとき(山縣章宏の大蔵事務官に対する質問てん末書・検131)と、同年六月から『カゴ平商店』の名義で行われたときとで変わらず、そのまま引き継いだと見られる事実と対比すれば、山縣静子がもともと山縣化学東京営業所の売上除外された利益金の管理を任されていて、その後『カゴ平商店』の売上除外金の管理をすることに事実が変わつただけで、それが単なる名称の変更に止まらず、山縣化学とは独立した山縣静子個人の店として同女が『カゴ平商店』の経営者になつたというのはおよそ根拠が薄弱というべきで、山縣章宏の公判供述は到底首肯しえない。

2 また、山縣章宏以外の者の供述を見るのに、検察官調書において、山縣静子(検74)は、「山縣章宏が、山縣化学の東京地区の売上の中から裏に回した金を管理するようにと言い、その方法として『カゴ平商店』という名称の代理店を作つたもので、自分が管理していた『カゴ平商店』の売上利益は山縣化学のものであり、山縣化学の仕事としてその金を管理していた。」と供述し、山崎今朝喜(検68)は、「『カゴ平商店』の名称で販売を行うようになつても、その実態は山縣化学東京営業所のときと変わつておらず、客に対する挨拶回りは山縣化学の専務(山縣哲夫)が担当していた。『カゴ平商店』名義の取引は山縣化学東京地区における販売代行であり、販売手数料、経費等は山縣化学から貰つているという意識であつた。」と供述し、福島冨佐子(検69)は、「山縣化学第一工場に勤務していた当時から自分は山縣化学東京営業所関係の伝票等の作成事務を担当し、昭和五二年六月山縣化学東京営業所から『カゴ平商店』に名称が変わつた。名称変更の理由は分からないが、自分の仕事の内容は変わらなかつた。山崎今朝喜が山縣化学第一工場へ送つてくる納品書、領収書控等の伝票類の整理、『カゴ平商店』の経費集計表の作成、請求書の作成発送等を自分が担当し、山崎今朝喜が集金を、山縣静子が銀行口座の管理をした。自分は伝票に基づいて種類別売上表、店別売上表を作成し、その内容を山縣章宏社長に教えた。山崎今朝喜は山縣化学東京倉庫に在庫があればそれを配達し、なければ山縣化学本社に連絡が入り、本社から東京倉庫に送つた。山縣化学従業員の原和子が東京倉庫へ在庫調べに行き、在庫表を作成していた。『カゴ平商店』は山縣化学の東京地区における名称で、その売上分は帳簿に載らず、別管理されていると思つていた。」と供述し、山縣哲夫(検71)は、「山崎今朝喜の所が山縣化学の東京地区における販売部門を担当した。そこは山縣化学東京営業所と言つたり、昭和五二年六月から『カゴ平商店』の名前を使うようになつたが、『カゴ平商店』の名前を使いだした経緯は知らず、『カゴ平商店』の得意先回りは山縣化学の専務である自分が担当していた。」と供述している。右山縣静子らの供述は、山縣章宏の大蔵事務官に対する質問てん末書の供述と符号し、前記客観的情況事実とも良く合致しているもので、『カゴ平商店』が山縣化学東京営業所と同じく山縣化学に属するとしており、山縣化学から独立した別個のものであるとか、その経営主体が山縣静子であるとかを窺わせる供述は一切ない。それらの『カゴ平商店』に関する売上、経費、在庫関係等についての供述を総合すると、山縣章宏が、『カゴ平商店』の売上を山縣化学の取引益の一部と認識し、山縣化学の従業員に『カゴ平商店』の経理関係を記帳させてその金額、数量等の把握につとめ、山縣化学の決算にあたつて、その所得申告が『カゴ平商店』の売上利益を秘匿したために少なくなり過ぎるのを避けようとして、東京在庫の数量金額を決め、山縣化学の納税申告を調整するなど、『カゴ平商店』を山縣化学の東京地区の販売部門と考えていることは疑問の余地がないと見られる。

3 山縣静子ら山縣章宏以外の関係者の公判証言は、ことごとくそれらの検察官調書の供述と相反する。

しかし、山縣静子は、「自分名義で借りた借金の返済資金を捻出するため、夫山縣章宏に相談したところ、『それじや東京地区を独立させて、お前がその経営をして、利益の中から借金に回せばよい。』と言つてくれた。こうして『カゴ平商店』は山縣化学東京営業所を閉鎖して、私の借金返済資金を捻出するために作つた独立の会社であるから、『カゴ平商店』の売上利益は同店の経営主である自分に帰属する。」と証言する一方で、「私の『カゴ平商店』は寝ているだけで金が入つて来ると言われればそのとおりである。」と自認するように、『カゴ平商店』の発足後山縣静子が実際に担当したのは得意先回り程度というのであるから、山縣化学東京営業所時代とその実態はほとんど変わつていないといわざるを得ないし、『カゴ平商店』の発足の際得意先に送つた挨拶状につき、自分が原文を書いたと認めながら、挨拶状の中に自分の名前を出さなかつた理由を、「客に送金してもらうためもあり、客の便利のため山崎今朝喜の名前を入れた。」ものと証言するが、得意先に送つた挨拶状(符号一三一)は、『カゴ平商店』の開業挨拶状と口座番号通知の挨拶状の二種類があつたのに、そのいずれにも山縣静子の名がないのであり、とくに開業挨拶状の方に山縣章宏の名前を出しながら、新経営者としての山縣静子の名前が載つていないのは不自然であるし、また客の送金のためには口座番号等を通知すれば足りることであつて、その挨拶状にも通知者として山縣静子の名前を載せず、山縣章宏と山崎今朝喜の名前のみを表示する合理性は乏しく、その証言内容の真実性は疑問である。

福島冨佐子も、「挨拶状には山縣静子の名前を書いていないが、『カゴ平商店』は山縣静子が実権を握つていた。『カゴ平商店』は全部山縣静子です。」等とあたかも『カゴ平商店』は山縣静子が実質的に経営していたかのように証言しているが、その一方「山縣社長から得意先への挨拶状を見せられ、『カゴ平商店』という新しいのができると言われたが、山縣化学の仕事じやなくなるとまでは言われなかつた。国税局の調べの時点では、単に山縣化学東京営業所が『カゴ平商店』に変わつたものと思つていた。いきさつなど細かいことは分からない。」とも供述し、その証言内容は山縣静子をカゴ平商店の経営者と考える根拠、理由を具体的には何ら示しておらず、信用性に乏しい。また山崎今朝喜は、「『カゴ平商店』の経営者は山縣静子である。その根拠は、山縣静子が時々私方に来て、得意先回りをしたり、帳面を見ていたからである。私としては、山縣化学から独立した『カゴ平商店』の名称で『カゴ平商店』のまな板の販売を代行していた。『カゴ平商店』の事務所経費とか私の手数料は山縣静子から貰つていた。」と証言するが、その供述内容だけから、『カゴ平商店』の経営者が山縣静子であるというのは、その根拠が十分でないし、検察官調書で『カゴ平商店』に名前は変わつてもその実態は変わらず、要するに山縣化学の販売を『カゴ平商店』という名前でしてただけであり、経費、手数料は山縣化学から貰つていると認識していた。」と供述したのは、理由はないが言いそびれ、あるいは気がつかない言い間違いであると弁解するなど、東京地区の販売代行者である山崎今朝喜の立場からして言い間違いなどするはずのない事実に関して、容易に首肯できない証言である。山縣哲夫は、「『カゴ平商店』の名称になつてから、東京地区の売上の帰属先は『カゴ平商店』である。『カゴ平商店』は山縣静子が山縣化学東京営業所をそのように変えたもので、『カゴ平商店』の経営者は山縣静子である。その理由は『カゴ平商店』が出す領収書に山縣静子と書いてあつた。」と証言するが、その「方で、「検察官に対して、『カゴ平商店』に名前が変わつた経緯は知らないと話したと思うが、事実は知つていた。『カゴ平商店』の儲けは最終的には山縣静子に渡つているが、その利益に誰が帰属するかはわからない。『カゴ平商店』代表者山縣静子の領収書等が押収されてないなら私の記憶ちがいである。」とも供述するなど『カゴ平商店』の経営主体を山縣静子とする根拠の証言は甚だあいまいである。

『カゴ平商店』の売上利益が山縣静子に帰属するという山縣化学関係者の証言はいずれも採用できない。

(三) 以上のとおりで、『カゴ平商店』は、山縣章宏が山縣化学東京営業所の売上利益を秘匿する方法により脱税をしようとして、東京営業所の名称のままでは脱税が容易に発覚するおそれがあつたために、それをカモフラジューする手段として、外見上独立した商店に見せかけるため作り出された単なる名称上の存在に過ぎないものであり、途中からは瀬戸商会が間を仲介するような形にして一層山縣化学と『カゴ平商店』が別個の取引主体であるように偽装したもので、『カゴ平商店』は山縣化学と別個独立の取引主体ではなく、その実態は山縣化学東京営業所と変わらず、従つて、『カゴ平商店』という名称を冠していても、山縣化学の一営業所であつて、その売上利益は山縣化学に帰属するものと認定するのが相当である。

第三特許使用料の損金計上について

一  特許権の通常実施に関する契約書写し(検199)、山縣章宏の大蔵事務官に対する質問てん末書(検135)、山縣章宏の公判供述、山縣静子の証言等によると、山縣静子が特許権者である積層まな板について、昭和四九年一月一四日、山縣化学と山縣静子との間で、右特許権の通常実施を許諾する契約を締結して、その実施権の補償金(特許使用料)を一ヵ月一五〇万円、実施権の存続期間を定めないものとしたこと、山縣化学が同年一一ヵ月分の右特許使用料として合計一六五〇万円を山縣静子に支払い、山縣化学と山縣静子は翌年それによる税務申告をしたこと、しかし昭和五〇年以降右特許使用料は支払いされず、本件査察着手後の昭和五七年度から再び支払が再開され、山縣静子と山縣化学間においてはその支払い分を昭和五〇年度に遡つて充当する取扱をしていることが認められる。

そして、山縣章宏および弁護人は、本件の昭和五四~五六事業年度において、山縣化学に対してこの年額一八〇〇万円の簿外経費(損金)を認めるべきであるのに、検察官がこれを損金に計上しないまま本件ほ脱税額を算定しているのは不当であると主張し、これに対する検察官の主張は、右特許使用料に関する契約は昭和四九年度の一年間限りで解除されているから、損金として計上すべきものではないというのである。

二  昭和四九年度の特許使用料支払い以後の未払い状態についての評価が問題である。

山縣章宏は、大蔵事務官に対する質問てん末書(検135)において、「昭和四九年、山縣静子が現住居を作るときに、その金がいるので、山縣化学から山縣静子に特許使用料を支払うことにして契約書を作つた。そして山縣化学では、同年一二月期の法人税確定申告で特許使用料(一一ヵ月分)一六五〇万円を計上した。昭和五〇年になつてからその支払いを止めた。特許使用料を山縣化学の帳簿に載せなければ、契約は取り止めたものと考え、特許の通常実施権を解除するという契約書は作成していない。しかし、山縣静子の特許権は現存しており、今まで山縣静子から特許使用料の請求はないが、山縣静子が山縣化学に対して特許使用料を請求してきたときは、請求の時点において山縣化学としては特許使用料を支払わねばならないと思つている。」旨供述している。しかし山縣章宏は、検察官調書および公判供述においては、特許使用料の支払契約は取り止めておらず、山縣化学に資金がないために支払つていないだけだと供述する。一方、山縣静子も、検察官調書では、特許使用料の支払契約は昭和四九年度の一年分だけで取り止めたと供述しているが、公判証言では昭和五〇年度以降も、毎年三、四回は請求したが、山縣化学の資金繰りがつかないために、支払猶予を求められ、未払いのままの状態になつているだけで、契約を解除してはいないと供述する。

そこで検討するに、山縣静子は、その検察官に対する供述調書において、昭和四九年度にだけ特許使用料の支払がなされた事情につき、「当時家を新築するのに、その費用として一五〇〇万円位を必要としたので、私が借金して資金を都合し、その代わりに山縣化学から私に特許使用料を支払つてもらつた。しかしそれ以後は、家屋新築等の目的もなく、山縣化学には資金の余裕がなかつたし、私が特許使用料の支払を受けることは、山縣化学の借入金を増やすばかりなので、山縣章宏に『特許料は貰えない』と言い、山縣章宏も『じやそうするか』と言うことで、以後特許使用料を貰つていない。その後特許使用料の支払について、山縣章宏と何度か話をしたことはあるが、山縣章宏は『もう間もなくしたら払う』ということであつた。しかし私としては、山縣化学にそんな余裕のないことが分かつていたので、それ以上請求せず、昭和四九年度以後は未収の特許使用料という形でも申告していない。」旨を供述している。右自宅新築資金の必要に迫られて特許使用料の支払契約をしたということは山縣静子がその公判証言でも認める所であり、右供述はその実情を前段に正しく明らかにしたうえで、なおその後の特許使用料不払いの経過を説明しているものであり、昭和五〇年当時山縣化学に特許使用料を支払う余裕のなかつたことも山縣静子が公判証言で認めており、現に本件査察の着手時まで七年という長きにわたつて特許使用料が支払いされていない事実からしても、優に首肯しうる供述と認められる。

そして山縣章宏は、大蔵事務官に対する質問てん末書(検135)において、昭和五〇年以降特許使用料の支払がない経緯につき、「特許使用料の支払を受けた山縣静子に昭和五〇年に入つて三〇〇万円以上の市民税がかかつてきた。特許使用料として帳簿に載せると、会社の都合により未払いになつた場合にも、山縣静子が源泉所得税を支払しなければならないので、口頭で契約を取り止めた。」と供述するところ、右大蔵事務官に対する質問てん末書によると、山縣化学の総勘定元帳の特許料の勘定科目欄に、昭和五〇年一月から三月まで毎月一五〇万円、合計四五〇万円の特許使用料を一旦計上しておりながら、同年八月、九月、一一月において取り消していることが認められ、この記帳内容は山縣章宏の右供述の信用性を裏付けるものである。

右の証拠関係からすると、積層まな板の特許につき、昭和四九年に締結された特許料支払契約は、当時山縣静子が建てた自宅の資金を捻出することを目的とし、右資金の必要に迫られて特許使用料の支払がなされたものの、翌昭和五〇年に入つて山縣静子に多額の課税がされる一方、当時の山縣化学には引き続き特許使用料を支払えるような資金の余裕もなかつたため、同年末の山縣化学の決算期以前に、山縣化学と山縣静子間において協議のうえ、右契約に従つて特許使用料を支払うことを取り止め、当分特許使用料は支払しないことを合意したものと見るべきである。

山縣静子は前記のように、昭和五〇年以降も毎年特許使用料を請求したというが、山縣章宏は大蔵事務官に対する質問てん末書においてこれを否定しているし、昭和五〇年から山縣化学の資金繰りの都合で特許使用料が未払いになつたと説明しながら、その資金状態にさほど変化のない同時期から何度も請求していたというのは不自然で疑わしい。

そうすると、昭和四九年度に締結された特許使用料支払契約は翌五〇年中に一旦取り止めることにして、本件ほ脱の対象事業年度である昭和五四~五六年の間には再び支払を再開する合意はなかつたものと認められるから、同事業年度中、山縣静子から山縣化学に対して、特許使用料を具体的に求めうる状態になく、山縣化学の特許使用料支払債務も確定していないということになるから、これを山縣化学の簿外経費として損金計上を認めることはできない。

第四瀬戸商会の『カゴ平商店』に対する五%売上益の所得算入について

一  山縣化学の製品を『カゴ平商店』名義で問屋に卸売するに際して、前記のとおり瀬戸商会が一旦山縣化学から製品を仕入れ、その価格に五%の利益を加算して『カゴ平商店』に売るという伝票上の取引形態になつており、瀬戸商会に関する本件はほ脱額算定において、瀬戸商会の所得にこの五%の売却益が含まれている。

弁護人は、右取引に関して、『カゴ平商店』の売上が山縣化学には帰属しないとの主張が認められるなら、瀬戸商会について公訴事実を争わないが、もし『カゴ平商店』の売上利益を山縣化学の所得と見る場合には、瀬戸商会に関するほ脱所得額の算定に誤りがあり、『カゴ平商店』の売上利益を山縣化学に帰属させ、『カゴ平商店』を山縣化学に含める前提で計算をしながら、瀬戸商会が『カゴ平商店』に販売した利益を瀬戸商会の課税所得に算入している検察官の主張は自己矛盾であるという。その理由は、要するに、〈1〉瀬戸商会の所得として『カゴ平商店』に対する五%の売上利益を算入するということは、すなわち『カゴ平商店』を独立の営業主体として瀬戸商会との取引を認めることにほかならないから、『カゴ平商店』の売上利益が山縣化学に帰属することはありえない。〈2〉山縣化学は独立の営業主体である瀬戸商会に製品を売つたことにより、すでにその所有権を失つているのであるから、それから先の『カゴ平商店』の売上利益が山縣化学に帰属していくことは矛盾である。〈3〉検察官主張のように『カゴ平商店』を独立の取引主体として認めず、売上利益がそのまま山縣化学に帰属するというのならば、たとえ瀬戸商会が伝票上の仕切り値に『カゴ平商店』に対する五%の売却益を計上し、公表帳簿に記載したところで、もともと独立の取引主体として認められぬ『カゴ平商店』に対する売却益というものはあり得ないというべきである。〈4〉従つて、『カゴ平商店』の売上利益が山縣化学に帰属するというのならば、その一方、瀬戸商会の所得の中に『カゴ平商店』に対する五%の売却益を算入して課税しているのは理論的にも不当であり、これを瀬戸商会の所得から除外すべきである、というものと思われる。

山縣章宏も、この問題について、伝票の流れが証拠であり、山縣化学から一旦瀬戸商会に売つて、瀬戸商会から五%の利益を取つて『カゴ平商店』へ売つているのであるから、『カゴ平商店』の売上利益がそのまま直接山縣化学へいくというのは論外であると強調している。

二  しかしながら、たしかに販売店が売つた利益がメーカーに帰属するような取引形態は一般には考えられないが、既に認定したとおり、山縣化学―瀬戸商会―『カゴ平商店』という流れの取引は、メーカーから商社を経て販売点と流通する通常の取引とは異なり、そもそも山縣章宏が山縣化学の東京地区の売上利益を除外するために考えだした特殊な取引形態にすぎない。すなわち、山縣章宏はかかる取引形態を取ることにより、自己が代表者である瀬戸商会をして五%のマージンを得させ、更に『カゴ平商店』という名称を使つて、実質は山縣化学が得意先に売り、その売上利益を山縣化学の公表帳簿から除外して脱税するという方法を取つたと認められるのである。

税法上の所得に関しては、実質所得者課税の原則により、取引の名義、形式よりも、実体、実質を重視して課税することとされており(法人税法一一条)、従つて、法律上の取引名義関係ではなく、経済的実質、すなわち経営主体はだれかに即して、その所得の帰属が決定される。すなわち、法律上の取引名義と税法上の所得の帰属者とは必ずしも一致しない。取引の流れが伝票上どうなつているかということと、税法上その取引による売上利益が誰に帰属するかは別個のものである。

既述のとおり、山縣化学の一販売部門ないし営業所として、単なる名称上の存在である『カゴ平商店』と異なり、瀬戸商会はペーパーカンパニーではなく、独立した営業主体である。『カゴ平商店』に対する積層まな板等の販売により瀬戸商会に税法上五%の売却益が認められるかは、その取引の私法上有効か否かではなく、瀬戸商会が独立した経営主体としての実質を有しているかにより左右される問題であるる従つて、瀬戸商会と『カゴ平商店』間の取引が法律上有効と認められても、その後の『カゴ平商店』の売上利益が、瀬戸商会のように当然に『カゴ平商店』に帰属するとは限らない。それは『カゴ平商店』が税法上も独立の経営主体と認められるかどうかによる。すなわち、山縣化学―瀬戸商会―『カゴ平商店』と伝票上流通する取引の経路の中で、『カゴ平商店』名義の売上利益が山縣化学に帰属するなら、瀬戸商会に『カゴ平商店』に対する五%の売却益を計上するのは理論的に矛盾であるとか、逆に瀬戸商会の五%の売却益を同社の所得として認める以上、『カゴ平商店』は税法上山縣化学とは独立した経営主体と認められるべきであるという理屈には当然にならない。『カゴ平商店』の実績が独立の経営主体と認められない以上は、山縣化学と『カゴ平商店』との間に伝票上瀬戸商会が入り、取引の経路としては山縣化学と『カゴ平商店』が直結しておらなくとも、税法上の所得の帰属判断の上では、『カゴ平商店』の売却益が山縣化学の売上として同社に帰属すると認められる場合が存する。これを要するに、独立の経営主体としての瀬戸商会が五%の売却益を得ていたことは紛れもない事実であり、それが税法上の所得として課税されるということと、『カゴ平商店』が独立の経営主体と認められるかどうかは別の問題である。『カゴ平商店』の売上利益が誰に帰属するかは、『カゴ平商店』と山縣化学の取引形態の関係をどう見るかによつて定まり、端的にいうと、その結論がどうあれ、瀬戸商会の得た五%の売却益が税法上の所得であることには変わりない。

以上のとおりで、税法上の所得の帰属は、伝票上の取引の流れではなく、独立の経営主体として利益を得たか否かにより決まり、『カゴ平商店』の売上利益が山縣化学に帰属するということと、瀬戸商会が『カゴ平商店に売つた売却益五%を瀬戸商会の所得に算入することは両立するから、『カゴ平商店』の売上利益を山縣化学に帰属させる一方で、瀬戸商会の公表上の取引をそのまま認め、『カゴ平商店』に対する売却益五%をその所得として課税している本件の税務処理は不当なものではないというべきである。

(法令の適用)

被告人山縣化学の判示第一の一、二の各所為は、昭和五六年法律第五四号(脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律)附則五条により同法による改正前の法人税法一六四条一項、一五九条一項に、判示第一の三の所為は、法人税法一六四条一項、一五九条一項に該当するところ、情状によりそれぞれ同法一五九条二項を適用し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪に定めた罰金の合算額の範囲内で被告人山縣化学を罰金一六〇〇万円に処する。

被告人瀬戸商会の判示第二の一、二の各所為は、昭和五六年法律第五四号(脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律)附則五条により同法による改正前の法人税法一六四条一項、一五九条一項に、判示第二の三の所為は、法人税法一六四条一項、一五九条一項に該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪に定めた罰金の合算額の範囲内で被告人瀬戸商会を罰金六〇〇万円に処する。

被告人山縣章宏について、判示第一、第二の各一、二の所為は、昭和五六年法律第五四号(脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律)附則五条により同法による改正前の法人税法一五九条一項に、判示第一、第二の各三の所為は、法人税法一五九条一項に該当するところ、各所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人山縣章宏を懲役一年二月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の被告人から三年間右刑の執行を猶予する。

なお、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、主文第三項のとおり被告人らに連帯して負担させる。

(量刑の理由)

本件は特許権を有するプラスチック製まな板などの製造販売を業とする被告人山縣化学および瀬戸商会の社長である被告人山縣章宏が、右会社の業務に関し、法人税のほ脱を計画し、両会社の各売上を除外するなどの方法により、昭和五四~五六年の三年間に、合計約二億六、八八八万円の所得がありながら、約二、四七〇万円しか申告せず、その差額約二億四、四一八万円の所得を秘匿し、両会社で合計九、六六四万五、〇〇〇円の法人税を脱税したという事犯である。

山縣化学においては正規の所得の一二%(約二、四七〇万円)を申告したに止まり、瀬戸商会に至つては約二、三六四万円の欠損を申告するなど、正当な税額計算に比して、両会社合計の法人税申告率は六・五%にすぎず、そのほ脱率は九三・五%に及んでいる。

しかも、脱税の主たる手段方法は、山縣化学製品のうち売上の多い東京地区での販売益を除外することにし、山縣化学東京営業所の名称では脱税が容易に発覚するおそれがあるため、それをカモフラジューする手段として、実態はそのままで名称のみ『カゴ平商店』に変更し、外見上別個の商店のように装い、その後更に、瀬戸商会を間に入れ仲介している形にしてマージンを得させるとともに、一層山縣化学と『カゴ平商店』が別個の取引主体であるように偽装し、伝票類を操作して『カゴ平商店』名義による売上除外が発覚しないように工作し、そのほかコンピューターに入力しない小口売上除外分等を含め、長期間にわたり脱税を敢行しており、巧妙大胆な手口で周到に準備したほ脱行為といわねばならない。

所得に応じての税負担は国民の義務であり、我が国が採用している申告納税制度は、納税者の高い倫理性と正直を前提にしている。近年税に対する不公平感を背景に、不正の行為により税を免れる脱税事犯に対し、強い社会的非難が加えられており、そうした中で、今を去る一〇年前の価値で一億円近い高額の脱税をしたばかりか、その一部を家族の豪奢な消費に使つているなどの事情によれば、被告人らの刑事責任には軽視できないものがある。

しかし、他面、判示のように、本件脱税の動機は、個人営業の山縣化学研究所時代に借り入れた研究開発資金を、山縣化学株式会社設立時に会社債務として引き継がなかつたために、山縣静子による簿外の借入金が八、〇〇〇万円にも累積し、その支払い資金に窮したため、脱税することでその借入金を支払いしようとしたことにあり、当初より個人的備蓄や消費を意図してのものではなく、現実に脱税で得られた金の相当部分はそれら借金の支払に充てられたものであること、本件査察の着手後、一部重加算税、延滞税を除いて、修正本税、地方税については、これをすべて納付済みであること等を斟酌し、注文のとおりの量刑をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田清臣)

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